皆さんこんにちは。
昨日の吹雪も何とか収まり、日中は穏やかな天候に戻りました。
先週に引き続き、今日の午後からは生徒達はそれぞれの雪像製作に取り組んでいます。
生徒によって進度のばらつきはあるものの、少しずつ少しずつ作品が出来上がる様子が分かります。
今回は昔の雪像展についてご紹介します。
昭和50年頃の朗読文の中に、当時の雪像展についての様子がよく分かる文章がありましたので、一部を転載したいと思います。当時の時代背景等、イメージしにくい部分もあると思いますが、仲間と共に一生懸命雪像を作り上げていった当時の雰囲気がよく描かれていると思います。
『雪像コンクール』
『また今年も、雪像大会が目の前に迫って来て、僕たちの寮でも雪を積む作業が終わりに近づいて来て、今度は積んだ雪を削る作業に、取りかかろうとしています。そこで、昨年を振り返ってみますと、昨年は向陽寮で、ぼくが入校して間もなかったので、雪像を自分達の手で作るなんて考えてもみませんでした。そこで3つのグループで作り、僕たちのグループは、もう卒業したA君とB君と、その頃入校して来たばかりのC君の4人で作ることになった。それから朝作業の時には、手の先が凍りそうになるのをがまんして、雪をスキーでふんでは、今まで見たこともない大きなのこで、四角く切っては積んで、積んでは中に雪を放り込んで、放り込んではふんづけて、それの繰り返しで、毎朝、毎夜、雪像を作るのがいやになり、そうしているうちに、いよいよけずることになった。けずる時にはまず、チャコで積んだ雪の上に、えびす様の絵を書いて、少しけずった。そうしたところ、しっぱいして、今度は場所をかえて、また作り直すことにした。その頃ほかのグループでは、もうだいたい作り終わり、僕は、こんなことで雪像ができるのかと心配になった。そこで夜みんながテレビを見て楽しんでいる時に、僕達のグループだけはテレビもみないで、今度は作る物もかえて、港の灯台を作ることにして、朝の寒いとき、夜のしばれる時、ろうそく1本つけて、どんどん積んでいき、今度は回りだけ積んで中は雪を入れないで、どんどん積んでいったところ、また失敗してしまった。ところが、失敗した時はコンクールの一日前だった。そこで又場所を変えてつくることにした。場所は前にえびす様を作っていた所が、雪が少し積んであったので、そこはさらに積んで灯台を作ることにした。それからは、もう必死で積み上げて、夜にはみんなが手伝ってくれて、火を焚いて明るくして、手が凍りそうになるのをがまんして、午前一時まで雪像を作って、ようやくだいたいでき上がった。僕達は賞にははいんないと思ってあきらめていたのが、作った物が大きかったのか、賞に入ってとてもうれしかった。そこで、今年は、昨年の経験をいかして、のこりすくない日を大事につかって、みんなのびっくりするような物を作りたい。』
※本文中に登場する実名については表記を変えて掲載してあります。